リヒテンシュタイン宮殿の歴史は1658年、ヨハン・アダム・アンドレアス1世 リヒテンシュタイン公がアウエルスペルク家の葡萄畑を買い、更なる購買により拡大を進めた時期に始まりました。
この背景のもとに、リヒテンシュタイン宮殿は最終的には1690年、Domenico Egidio Rossi (ドメニコ·エジーディオ·ロッシ)の計画に基づいて建てられました。
本館の建築は1697年に開始され、すでに1704年に骨格は完成していましたが、複雑な内部は1709年までかかり仕上がりました。
それにはウィーンとイタリアの最上の芸術家が携わりました。
彫刻家 Giovanni Giuliani(ジョバンニ·ジュリアーニ)、スタッコ職人 Santino Bussi(サンチーノ·ブッシ)、画家 Marcantonio Franceschini(マルカントニオ·フランチェシーニ)、 Johann Michael Rottmayr(ヨハン·ミハエル·ロットマイル)、 Andrea Pozzo(アンドレア・ポッツォ)が名をなしました。
彼らは、イタリアアンティークの総合芸術としての、 パラッツォに比類する閉鎖された豪邸をローマ様式で作成しました。
しかし、諸々の部屋は、大きな空間に暖房を入れるのが事実上無理であったことから、夏にだけ代用に使われていました。
19世紀初、リヒテンシュタイン伯爵家の大規模な美術コレクションの大部分が庭園宮殿に運ばれて、1807年より初公開もされました。
第二次世界大戦は、リヒテンシュタイン宮殿にも大きな変化をもたらしました。公爵家は1938年、本籍をファドゥーツ へ移し、戦争が終る少し前に、美術コレクションを当地へ移転しました。
1957年以降宮殿は、主に美術館として利用されました。例えば2001年に新設されたミュージアムクォーター へと替わるまでは、ここには近代美術館(MUMOK)もありました。
2004年から2011年まで、宮殿内には、世界で最も大きく貴重な私有美術コレクションのひとつとしを有したリヒテンシュタイン美術館がありました。このコレクションは一部はまだギャラリー空間内にあります。